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私の心はどこに存在するのか 瞬きから覗き見る脳内の風景 生命機能研究科 中野珠実准教授 【ひとの正体~奇才たちのスペシャリテ~】

2022.10.13
 究みのStoryZ

「ひと」とは何か? 古来から人々が問うてきた大きなテーマ。 生命は未だ神秘のベールに包まれ、今なおあらゆる角度から挑み続ける研究者たち。
2022年のいま、「ひと」はどこまで明らかになったのか? アンドロイド研究の第一人者石黒浩教授(基礎工学研究科)らが語る 人の正体に迫る挑戦の物語。
心臓の鼓動と同じように、意識せずとも繰り返される生理現象。「瞬き」は我々人間が目を覚まして活動する時間の1割を消費し、その間、眼球から脳に運ばれる視覚情報を遮断する。大阪大学大学院生命機能研究科の中野珠実准教授は、この単純極まりないまぶたの開閉運動を出発点に多彩な研究領域へと分け入り、人間の「心」の正体を解明しようと取り組んでいる。SNS(Social Networking Service)など情報伝達の手段が極度に発達した現代。人は常に他者の目を意識しながら、自分と社会の関係を調整するという、じつに不安定な環境にさらされている。瞬きは不安に揺れる人々の、心のバランスを保っていくための、重要な鍵となるかもしれない。
映像の句読点でシンクロ
イギリスで制作された人気コメディーショー「ミスター・ビーン(Mr.Bean)」を鑑賞する時、人々の瞬きするタイミングが同期する。中野准教授が大学の卒業論文と、その後の研究で明らかにした事実だ。
 瞬きが同期するのは、どんな場面なのだろうか。ミスター・ビーンが「車を降りる」「画面から姿を消す」、あるいは「同じシーンが繰り返される」など、被験者が目の前に映し出されたストーリーから「暗黙の句読点」を読み取った時、ほぼ一斉に瞬きが起きた。一方、美しい景色を淡々と映し続ける映像や、ストーリーがあっても音声を聞くだけでは、瞬きのシンクロは起きなかった。
 目の前で展開する物語に、鑑賞者が十分な注意を向けていることが、瞬きを同期させるために必要なようだ。
 通常、瞬きは3秒に1度の割合で0.3秒にわたって視界を遮る。「眼球が乾燥しないように潤す」という機能を果たすのに必要とされる5倍の頻度で行われるのには、何か隠された理由があるはずだ。ミスター・ビーンを用いた研究は、瞬きが担う重要な機能を解明する上で大きな第一歩となった。中野准教授らが2009年に発表した論文(Synchronization of spontaneous eyeblinks while viewing video stories)は、特に海外の映像関係者から注目され、「映像の句読点」についての問い合わせが相次いだ。
 アメリカではラジオ番組にゲストとして出演。フランシス・コッポラ監督の「ゴッドファーザー PARTⅢ」「地獄の黙示録」の編集、音響を担当するなど、アカデミー賞を3度受賞したウォルター・マーチ氏(Walter Murch)との対談も実現した。マーチ氏は著書「In the Blink of an Eye」(邦題「映画の瞬き」)で映像編集の手法について解説し、人が思考の切れ目に瞬きすると自説を披露していた。
 中野准教授の論文はマーチ氏の考えを、科学的に実証した。
脳活動を切り替えるスイッチ
中野准教授は「ミスター・ビーン」を使って、さらに研究を深めていく。脳神経科学の研究手法を活用して、鑑賞者の脳内活動を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)で測定。無意識に生じた瞬きをきっかけとして、脳内の活動領域が一時的に交替しているという事実をつかんだ。
 目を開けて映像に注視している時は、外界にある特定の対象に注意を向けることに関わる「注意の神経ネットワーク」が活発に機能するが、瞬きしたタイミングで、その活動が一時的に低下する。一方、さまざまな内的思考に関連し、通常は安静時に活動している「デフォルト・モード・ネットワーク」が、瞬きと同時に活発化していた。
 瞬きが脳内の主要な活動領域を交替させるスイッチとして働いているのではないか。研究グループでは「瞬きには、これまでのストーリーの流れに区切りをつけて注意を解除し、新たな展開のために脳を開放する」という役割があると推定する。
卒業論文が入り口に
次なる発見を紹介する前に、中野准教授のプロフィールに触れておこう。
 「人間の身体はどのように制御されているのか」。その答えを求めて東京大学理科二類に入学したのは90年代半ばのこと。当時は遺伝子やゲノムなどミクロの単位から人体の秘密を解明する「分子生物学」への期待が高まっていた。そんな中、「人間というマクロなレベルで、自分自身のことを知りたい」と教育学部の身体教育学科に進んだ。ただし、学生生活ではラクロスの部活動に熱中していたといい、大学での課程を終えた後は大手酒造メーカーに就職することが決まった。
 しかし卒業論文が大きな転機となった。担当教官から「瞬き」をテーマにしてみてはと提案された。準備のために文献を読むうち、「人はなぜ瞬きするのか」という理由すら解明されていないことを知り、「これは面白い」と心が踊った。「瞬きが脳の情報処理と関係しているはず」「認知処理と関係するのなら、同じ映像を見た人が同じタイミングで瞬きするのではないか」。そんな仮説を立て、実験のアイデアをひねり出した。
 「瞬きは同期する」という結論にたどり着いた時、研究活動を続けたいという思いが膨らんでいった。二つの企業での計4年間の会社員生活を経て、本格的な研究の世界に足を踏み入れた。
さまざまな研究分野をつなぐ
マクロな視点で人間を知るには、人間活動を構成するさまざまな要素について知り、それぞれの要素の関係性を見つけ出す必要がある。瞬きという生理現象が、脳の活動と相互に作用し合っていることを突き止めた中野准教授は、研究をより深い場所まで進めていくため、心や脳についてさらに深く知りたいと考えた。
 心はどんな過程を経てかたちづくられるのだろう。哲学の世界では古代から、人の身体という実体とは別に、魂や精神など思考する実体があると考える「心身二元論」が唱えられてきた。フランス生まれの哲学者ルネ・デカルト(1596~1650年)は「我思う、ゆえに我あり」という表現を用いながら二元論を説いた。しかし科学で説明できる領域が大きく広がった現代、心と身体はひとつながりであるという「心身一元論」の立場がより現実的だ。
 人間が他者、すなわち社会と、自分自身をどのように認知し、環境や自分との関係性の中で、心が形成されていくのか、その道筋を見つけ出したい。中野准教授は一つの事象について研究を進める際、一つの学問分野にこだわらず、生理学に始まり身体情報解析や脳神経科学、心理学など、幅広い視点からスポットライトを当てようと試みる学際的な手法を取り入れた。
 雑多に見えるいくつもの事象を分析し、その結果をつなぎ合わせることで、人間の内面について知られざる事実が次第に可視化されていく。一つの研究成果が次の研究テーマを生み出す手がかりとなり、サイエンスの領域をも超えた新たなフィールドの専門家とつながりながら、次の成果につなげていった。
自分の「顔」が報酬系を刺激する
現在、中野准教授が深い興味を持っているのが、「顔」の認識と自己意識のかかわりだ。人間は他者の顔から多くの情報を読み取ろうとする。テレビの映像を見る時、風景にはほとんど注意を払わず、登場人物の顔、特に目と口の動きばかりに注目する。一方、思春期を迎えた子供たちは、他人から自分がどう見られているかを意識し始め、自分の顔に「過度」とも言える興味を抱くようになる。何が原因なのだろうか。
 人間は鏡に自分の顔が映っていれば、それが自分だと認識する「鏡像認知」という特別な能力を持っている。自分の顔の情報には自動的に注意を向け、多人数がフレーム内に収まった写真の中からも、自分の姿を素早く正確に見つけ出すことができる。中野准教授らのグループはこうした「自己顔の優位効果」のメカニズムを知る手がかりを発見し、2021年4月に論文を発表した。
 実験では、顔の情報が意識に上らない潜在意識(サブリミナル)に入り込むよう、被験者の顔写真を1000分の25秒間だけ映し出し、その前後を複雑な画像ではさみこむ形で見せて、fMRIで脳の活動を測定。自分の顔を見たことを被験者が意識していないにもかかわらず、脳の深部にある領域「腹側被蓋野」の活動が活発化することを確認した。腹側被蓋野は神経伝達物質ドーパミンを放出して、やる気や意欲に関連する「報酬系」の中枢を構成する部位として知られる。
 脳内に自分の顔の情報が入ることで報酬系の中枢が活性化し、結果として自分の顔に対する注意が高まって、優先的に自分の顔の情報を処理していると推定されている。
心と身体の安定を求めて
鏡像認知が可能なのは、人間の他にはゴリラやオランウータン、イルカ、象など、「フォン・エコノモ・ニューロン」と呼ばれる特殊な神経細胞を持つ動物だけだ。つまり、脳内で一つの情報を特定の別の場所へ、高速に運ぶ機能を持ったフォン・エコノモ・ニューロンこそが、自己意識と深く結びついている可能性が高い。
 「外部から得た自己の情報を脳内で認識する際、時間の遅れは許されないのだろう。感情や周囲の環境などの情報と、自己に関する情報を統合する際に時間のずれが生じると、心と体がつながらず、他者とのコミュニケーションも取れなくなるのではないか」
 中野准教授はそう推論する。
 社会は絶えず変化する。人間はその変化に順応して、自分の心と身体の状態を一定に保つこと(ホメオスタシス)が求められている。生まれた直後の人間は、自分の顔を鏡像認知できないという。成長して自己意識が発達していく過程で、自分の顔の情報を脳内で優先的に処理する自己愛のしくみが形成されていく。
 最近、自己の情報を認識しているときに「サリエンス・ネットワーク」と呼ばれる領域が活動することを最近発見した。サリエンス・ネットワークは体の外から取り入れた情報だけでなく、内的感情や感覚情報をも処理する領域だとされる。さらに、瞬きに伴って生じる脳内領域の活動交替にも、サリエンス・ネットワークが関わっている。中野准教授は「サリエンス・ネットワークが自己に関する多くの情報を統合して、心を作り出している」との思いを強め、視覚情報を一度リセットする瞬きが、心の中のバランスを調整する役割を担っているのではないかと考え、さらなる研究に取り組んでいる。
 文明の発達に従って、人間が自分の顔を認識する手段が増えていった。最初は鏡、続いてカメラやビデオカメラ。インターネットが世界に広がり、SNSが普及した現代では、「自分のことを他人がどう思っているか」という情報も、虚実織り交ぜてリアルタイムで入手できてしまう。人の心は安定とはほど遠い、厳しい環境にさらされている。
 人間の心とは何なのか、自分とは何者かを探し求める研究は、人類が今後も生存を続けるための、たくさんのヒントを与えてくれるはずだ。
中野准教授にとって研究とは
社会に対して自分を表現するもの。 自分の興味、考え方、自分が社会に存在する意義、それらを含めて自分とは何か、自分はどんな生き物なのか。「自分とは何か」を、研究を通じて表現している。

中野 珠実(なかの たまみ)

生命機能研究科 准教授

2009年東京大学大学院教育学研究科身体教育学コース博士課程修了。教育学博士。専門は、認知神経科学・生理心理学・発達心理学。順天堂大学医学部生理学第一講座 助教などを経て、2012年より現職。2016年からJSTさきがけ研究員。著書に「顔を科学する」(分担執筆、東京大学出版会)、「生理心理学と精神生理学 第Ⅲ巻」(分担執筆、北大路書房)など。

「ひと」とは何か? 古来から人々が問うてきた大きなテーマ。 生命は未だ神秘のベールに包まれ、今なおあらゆる角度から挑み続ける研究者たち。
2022年のいま、「ひと」はどこまで明らかになったのか? アンドロイド研究の第一人者石黒浩教授(基礎工学研究科)らが語る 人の正体に迫る挑戦の物語。
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