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手遅れは、ない。ミラノでテーラーになった卒業生が語る『失敗のススメ』。その道のりとブレない想いとは?〈前編〉

2020.01.24
 😳mappa!
「テーラー」という職業を知っていますか?その人の身体のサイズを寸法し、型紙を起こすところから、生地の裁断・縫製まで手作業で行い、紳士服(スーツ)を仕立てる職人です。今回は、イタリアのミラノでテーラーとして働く阪大の卒業生、河合聡輝さんに取材。テーラーを目指したきっかけは?どうやってテーラーになったの?約20年を経て、やりたいことを実現した職人のこれまでの道のりと、想いを語ってもらいました。

プロフィール

河合 聡輝(かわい さとき)

幼い頃からジャケットやスーツが好きで、高校2年生のときにテーラーになることを決意。大阪外国語大学・地域文化学科英語専攻を卒業後、25歳のときにイタリアへ渡り、ミラノの「サルトリア・コロンボ」や「A・カラチェニ」といった有名なテーラーでの修行を経て、2013年にミラノにて「Sartoria Cresent」を立ち上げた。日本のみならず世界各地に顧客を抱える。

《目次》

▼ 前編

後編
  • イタリア人から、本物を学ぶ。テーラーとしての土台ができた、老舗での修行。
  • 針を動かしてモノをつくり、「失敗」しながらでないと学べない。
  • 修業を経て、自身のブランド「Sartoria Cresent」を創設。
  • 考え過ぎることをやめる。まずはやってみる、動いてみる。

社会の一般常識にも、流行にもとらわれない。自分のやりたいことが「テーラー」だったんです。

— はじめまして、今日はミラノから帰国されているところをありがとうございます。久しぶりの母校はいかがですか?
私が在学していたのは約20年前のことですが、変わってないですね。懐かしい。
— 阪大の学舎に、ビシっとスーツが映えていてかっこいいです。さすがテーラー、スーツがお似合いですね。
ありがとうございます。
— そもそもなんですが、テーラーってどんなお仕事をされているんですか?
簡単に言うと、紳士服をオーダーメイドでつくる仕事です。布地やデザインなど、お客様のご要望を伺い、身体のサイズを採寸し、パターン(型紙)を起こし、生地を裁断、手縫いとミシンで仕上げていきます。すでに完成した状態で販売されている「既製スーツ」と違い、お客様と対話しながらカスタマイズする“ビスポーク”をふまえた「オーダースーツ」です。
— オーダースーツには憧れがあります…!河合さんがテーラーを目指したきっかけは何でしょうか?
テーラーになろうと決意したのは、高校2年生のときでした。幼い頃から、ジャケットやスーツがなんとなく好きだったんです。中高時代はジーンズやアメカジが流行っていましたけど、僕はそっちには興味が向かなかったですね。
— シブい…じゃあもともと、ファッションそのものに興味があったんですか?
そうですね。でも、デザイナーやスタイリストは、自分には向いていない。自分にはそういうクリエイティビティがないと思っていたので、目指すなら別の道だと思っていました。ある日、テレビ番組でテーラーの特集をしていて、「これだ!」って感じたんです。
— テーラーのどんなところが魅力的だと感じられたんですか?
いちばん惹かれたのは、先ほどお話した“ビスポーク”です。ゼロからモノを生み出すのではなく、お客様と対話しながら、その人のご要望に合ったスーツを仕立てる。過程そのものに興味を持ちました。たとえば、ジャケットの内ポケットに物を入れる人だったら、ポケットのボリュームを大きくする。こういった、見た目の美しさだけではなく、着る人に寄り添った細やかなこだわりが、心に残りました。
スーツを仕立てる際のオーダーシート。仕様が細やかに書かれています。
— 先ほど、自分はクリエイターやデザイナーには向いてないってお話されていましたが、テーラーは自分に合っていると感じたんですか?
そうですね。たとえば、絵を描きましょう、何かつくりましょうといったときに、何もないゼロの状態からモノを生み出すのは向いていない。でも、コツコツと手を動かしてつくり上げていくのは、自分にとって苦にならないと思いました。
あとやっぱり、華々しく映るファッションという世界で、実際に食べていける人なんて極わずかですから、テーラーになるほうが将来の見込みもあるだろうと考えました。
— 憧れだけじゃなく、現実面にも向き合っていらっしゃったんですね。高校2年生でそれを考えられるなんて、しっかりされているなと思いました。
食べていけるかどうかは考えていましたね。そこを除くことはできなかった。
— でも正直、将来安定した生活を望むのであれば、企業のサラリーマンとして働く道もあると思うのですが。
一般的には、企業勤めするほうが安定という意味では堅いと思います。僕は高校から完全に文系の人間だったので、文学部や法学部に入学して、企業に就職して、営業職に就くという道もあるかと思うんです。でも、サラリーマンにも向いていないと思ったし、特に営業職は絶対に向いていないと思うので。
— じゃあ、テーラーから気持ちはブレなかったんですね。
はい。ほかに、積極的にやってみたいと思う職業には出会わなかったです。
— 流行や、社会の一般常識みたいなものに左右されることなく、河合さんご自身の素直な気持ちと向き合った上での決断だったんですね。

スーツの聖地で働きたい。ロンドンのテーラーさんへ、手紙を送った。しかし…。

— 阪大時代は、どんな学生だったんですか?
いわゆる、普通の学生だったと思いますよ。部活もやっていましたし。
— 何をされていたんですか?
ソフトテニスです。

ソフトテニス部に所属していた河合さん。箕面キャンパスのグラウンドにて。
— 写真の姿からは、今のような職人らしさが正直感じられないですね(笑)。よく見かける男子学生といった印象です。大学では英語、副専攻としてイタリア語を学ばれていたということですが、どういった理由からでしょうか?
ゆくゆくは海外で働きたいと思っていたからです。第一候補がイギリス、第二候補がイタリアでした。
— なぜ海外なんですか?
まず、スーツのスタイルから話をしますと、ブリティッシュ・イタリア・アメリカの3種類があります。その中でも、ブリティッシュはスーツの発祥といわれていて、ロンドンには名門の紳士服店が立ち並ぶ「サヴィル・ロウ」というストリートがあるんです。スーツの聖地として有名なんですが、そこで修行を積みたいと考えていました。
— じゃあ、卒業後はロンドンへ行かれたんですか?
はい。まずロンドンへ渡る前に、現地で修行をされた日本人の方からテーラーさんの情報を伺い、ご本人とコンタクトをとるために手紙を書いたんです。
— 手紙!?
ええ。当時、まだ職人さんもあまりEメールを使えなかったので、英語で手紙を書きました。でもまあ、返事はなくて。これは行くしかないぞと思い、ロンドンへ飛びました。
— 現地ではいかがでしたか?
「サヴィル・ロウ」にも足を運んで、仕事の口を探しながらテーラーさんを訪ねてまわりました。でも結局、自分の準備不足もあって仕事は見つからず、3ヵ月ほどで帰国しました。
— そうでしたか…トントン拍子にはいかないんですね。でも手紙を書いたり、ロンドンへ渡ったりと、その行動力が素晴らしいと思います。
「自分はテーラーになる」ということを、大学の友人にも公言していたので。自分の退路を断つ意味でも。
— 覚悟があったんですね。
そして帰国後、前からつながりのあった日本人のテーラーさんからご連絡があり、国内の縫製工場をご紹介いただきました。フルハンドメイドではないけれども、キャリアの第一歩として工場から始めるのもひとつだと。
— ついに、スタートラインを切るときがやってきたんですね!
そう思っていたんですが、正直、精神的にはかなりきつかったです。
— え、どうしてですか!?
2003年から2004年にかけて1年ほど、その工場で働いたんですが、僕はこれまで技術的なことは一切学んでこなかったので、工場に勤めていても、縫製の現場に入れるチャンスはなかったんです。ずっとパソコンと向き合うような事務仕事。
— 河合さんのやりたいことではなかった。
そうですね。だから就業時間が終わった後に、夜な夜なミシンの練習をしたり、勉強をしたりとかはしていましたけれども、やっぱり現場には携われなかったので、本場に行かなければならないという想いが消えることはありませんでした。
— 工場にいながらも、やはり海外で働きたいという気持ちがあったんですね。
そうですね。そう思っていた矢先、ミラノにお店を構える日本人テーラーさんがいるという情報を、たまたま人づてに教えてもらったんです。すぐにコンタクトを取って、現地に足を運び、お話をさせていただきました。「来てもいいよ」とのことで、イタリアへ渡りました。僕が25歳のときのことです。
— 新しい一歩を踏み出されたのですね。先ほどから、日本人テーラーさんとのつながりが、河合さんの人生を動かすきっかけになっていると思ったのですが、河合さんご自身でつながりを築いていったんですか?
大学時代、スーツに関する卒論を書いていたので、その際の資料集めで日本人テーラーさんに連絡を取り、情報をご提供いただいていました。その関係ですね。あと先ほどもお話したように、テーラーになると公言していたので、周りの人も気に留めてくれていたんだと思います。何かテーラーに関する情報やきっかけがあれば、僕につなごうという感じで。
>後編へ続く
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