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手遅れは、ない。ミラノでテーラーになった卒業生が語る『失敗のススメ』。その道のりとブレない想いとは?〈後編〉

2020.01.27
 😳mappa!
イタリアのミラノで、スーツを一つひとつ仕立てる職人、テーラーとして働く河合聡輝さん。外国語学部を卒業後、テーラーを目指して日本の縫製工場で働いていましたが、卒論執筆の際に知り合った日本人テーラーさんとの縁で、25歳、いよいよミラノへ渡ります。
前編に続いて後編では、本場での修行と独立の経緯、そして阪大生へのメッセージをお送りします。
《目次》

前編
  • 社会の一般常識にも、流行にもとらわれない。自分のやりたいことが「テーラー」だったんです。
  • スーツの聖地で働きたい。ロンドンのテーラーさんへ、手紙を送った。しかし…。

▼ 後編

イタリア人から、本物を学ぶ。テーラーとしての土台ができた、老舗での修行。

— もともと、第2候補地としてイタリアを挙げていらっしゃいましたが、実際に行かれてみていかがでしたか?
当たり前ではありますが、目にするもの、耳にするものすべてが日本やロンドンとは違っていて新鮮でした。実は、スーツにも国民性やその国の文化が表れるんです。
— たとえば?
イタリア語が持つ音の強さやリズム、イタリア人の気質などももちろん、服に反映されます。それが日本であれば、より繊細さを感じられたり。同じスーツであっても、国や文化が違えば全く別のものが出来上がります。
— ちなみに、ミラノのスタイルってどんなものなんでしょうか?
そもそもイタリアは都市国家でしたから、都市それぞれに特色があるんです。イタリアは南北に長く、北と南でもスタイルが異なります。南のナポリは、気候も温暖でリゾート地でもありますから、羽織る感覚のかるいジャケットです。一方ミラノは商業地で、ヨーロッパ各地から人が集まるイタリアの玄関口でもあります。ですから、スーツにもフォーマルかつ社交性のあるスタイルが求められます。イタリアのスーツの中では、一番ブリティッシュ様式に近いんですね。
河合さんが仕立てたスーツ。
— ある意味、やりたかったことに近いのではないですか?
そうですね。イタリアに行くならミラノがいいと思っていました。だからもし、ナポリに縁があってもたぶん行っていなかったと思います。
— チャンスがあっても?
たぶん。もし行っていたとしても、おそらく自分には合わないので、他の場所に移っていたんじゃないかと思います。
— テーラーになると決められたときにも、自分に合う・合わないの感覚を大切にされていたと思うのですが、河合さんにとって重要なことなんでしょうか。
器用じゃないから合わせられないだけですよ。ただそれだけの話なんです。
— 「ちょっと合わない部分もあるけど、まあいっか」って妥協する人もいますが、河合さんは自分の本当の気持ちを大切にされていますよね。さて、ミラノの工房ではどんなことをされたんですか?
ようやくそこで、針を持たせてもらえるようになりました。
— おお、ついに!いかがでしたか、初めて現場で触れたときのお気持ちは。
「やっと始められた」という気持ちでしたね。でも、スキルもないゼロの状態からのスタートでしたから、できないことばかり。
製図に使うチョークと、チョーク削り。これを用いて、布の上に線を引きます。チョーク削りは、もう手に入らないのだそう。
— その方のもとでは、どれくらいの期間働いていらっしゃったんですか?
1年すこしです。その後「サルトリア・コロンボ」という、イタリア人のコロンボさんという方のサルトリアで働くことになりました。
— それはどういった経緯ですか?
そこで働いている日本人の知り合いがいて、声をかけてもらったんです。
— またもや、人とのつながりがきっかけだったんですね。ちなみに、サルトリアってどういう意味ですか?
イタリア語で「仕立て屋」という意味です。英語の、テーラーと同じですね。「サルトリア・コロンボ」は、現地のテーラーさんならみんなが知るサルトリア。ようやく、イタリア人のもとで“本物”が学べると思いました。
— そこではどんなことをされたんですか?
ここには約5年間いたんですが、テーラーとしての自分は、すべてここでつくられたと思っています。技術も、職人としてのメンタルも。
— 特に、印象に残っている学びは何でしょうか?
親方が非常にまじめで、時間にもクオリティにも厳しい方でした。時間に追われる中で、量的・質的ノルマをプロとして果たさないといけない。でないと、仕事として認めてもらえない。職人の姿勢を学びましたね、「針で飯を食っているんや」と。
外から見えない内部の布を、ひと針ずつ丁寧に縫い合わせていきます。
— そんな厳しい環境で修行されてみて、手応えはいかがでしたか?
20代後半でスタートというと、職人としては手遅れなんです。日本の職人さんもそうですけど、熟練の職人さんは物心ついて、学校に通い始めたくらいから針を持っているんです。だから、親方からも「無理だからやめとけ」「大学まで出て何してるんだ」ってよく言われました。
— 向いていないと感じられた?
コロンボに移って間もないころは、「これまでやりたい一心だったけど、ひょっとして自分には素質がないんじゃないか?」という不安が頭をよぎることがよくありました。でも素質の有る無しなんて、始めて間もない、まだ何もできない自分自身が決められるわけがないと思っていました。目の前の困難に挫折するかたちで、できない理由を「自分に素質がないから」と素質のせいにする気にはなれなかったし、そうしてしまったら本当に職人として終わりだと思っていました。よくイタリア人の年配の職人から言われていたのは「この仕事は一生終わりがない」と。何十年もキャリアを積んだベテランですらそうして毎日挑戦しているわけですから、針を持ったばかりの自分が精一杯の努力をせずに「自分には素質が…」なんて、何様だって話です。
— 辞めたい、日本へ戻りたいと思われたことは?
なかったですね。

針を動かしてモノをつくり、「失敗」しながらでないと学べない。

— 「サルトリア・コロンボ」で修行された後は、どうされたんですか?
2011年の7月に「サルトリア・コロンボ」が閉じることになり、次の拠点に移りました。それが、「A・カラチェニ」です。ここは、ミラノで一番有名かつ歴史も長いお店。コロンボさんがお店を閉める前に、話をふってくれたんです。「お前はここに行け」って。
— 厳しいコロンボさんがですか!?それは嬉しいですね。
実は、僕は僕で「サルトリア・コロンボ」が閉店すると聞いたときに、「A・カラチェニ」とこっそりコンタクトを取っていたんです。
— すでに動いていたんですね。
はい。ミラノに来たときから、ここが一番の有名店であることは知っていましたし、行くならここしかないと。
— 正直、厳しいコロンボさんのもとでしっかり学ばれたのだから、もう修行を終えてもいいんじゃないかとも思ったのですが、学び続けようと思った理由は何ですか?
「知っている」と「分かっている」の差は大きいし、「知っている」と「できる」はもうまったくの別物です。まだ僕には経験が不足していたし、テーラーは実際に針を動かして、モノをつくりながらしか学べない。さらに言えば、その中で数限りなく失敗しながらでないと、身につきません。そして自分の失敗を正してくれるのが、熟練した職人さん。僕には、そういった方が必要だったんです。
— 失敗し、それを職人さんが正してくれることで、成長につながる。失敗の数だけ、ステップアップできるのかもしれないですね。
それとカラチェニでは、伝説と呼ばれるテーラーの名前が日常会話で飛び交っていたんです。「あいつはこのテーブルで縫っていた」とか「あいつは窓ぎわで仕事をしていた」とか。だから、技術的な学びだけじゃなく、文化や伝統の重みを感じることができました。ミラノのスーツはミラノで培われた文化そのものなので、日本人である僕がゼロからつくることは不可能。それを受け継いでいる職人さんが引退してしまったら、生きた文化を学ぶことはできません。そこに身を置くことが何よりも大切だと思いました。

修業を経て、自身のブランド「Sartoria Cresent」を創設。

A・カラチェニでは1年ほど働き、その後の屋号を持って、お客様の注文を取り始めました。
— いよいよ、独立ですね。
はい。2013年に「Sartoria Cresent(サルトリア・クレセント)」という名前でスタートしました。
工房には、生地のサンプルがずらり!
— 大学を卒業されてから15年ほどですか。おめでとうございます!ちなみに、「Cresent」とはどういう意味ですか?
僕がつくった造語です。イタリア語の「creare(クレアーレ)」と「sentire(センティーレ)」という単語をかけ合わせました。「creare」は英語でいう「create」。「sentire」は「feel」に当たります。
ひとりの技術者・テーラーとして、一番大事な要素はその2つだと思っています。仕立ての工程は変わらないけれど、いつも新鮮な気持ちで、この世界にたった1着の新しいスーツをつくること。頭でモノをつくるんじゃなく、完成のイメージを常に持ち、指で生地を感じながら針を動かすこと。イタリアの職人が大切に受け継いできた文化を、屋号にも込めました。
— 高校2年生のときにテーラーを志し、修行を重ねて独立された今。これまでを振り返ってみて、どんなお気持ちですか?
夢が叶ったかどうかは分からないんですけれど、やりたかった仕事をできているっていうのはすごくラッキーだし、幸せなことだと思います。
— この約20年間、決して楽な道のりではなかったと思います。これを大事にしてきたから、ここでまでやってこれたんじゃないかという、自分のポリシーみたいなものはありますか?
まあ、自分はラッキーやったなと思います。分岐点に立ったとき、必ず自分を導いてくれる存在がいて、次のステップに進めているので。本当にラッキーっていうことですね。
— その「ラッキー」も、河合さんが引き寄せたんだと思いました。テーラーになると公言したり、動いたりと、チャレンジし続けたから。
あきらめない、ブレない。そこだけですね。
— 今、テーラーは向いていると思われますか?
向いている・向いていないの話で言えば、「向いている」と思います。好きでやれているのでね。
— やっぱり、テーラーがお好きなんですね。
じゃなきゃ、さすがに持たないですね(笑)。厳しい世界であろうとなかろうと、好きじゃないと仕事をおもしろがれない。別の業界の方から、「ようこんな辛気くさい仕事してんな」って、いつも言われます。
ポケットや裏地などのパーツをつける前の状態。スーツの立体的なフォルムを崩さないように、一着ずつ吊るします。
— お客様からオーダーがあってからお届けするまでに、どれくらいの期間がかかるんですか?
9ヵ月間ほど時間をいただいています。
— 9ヵ月!?それは長いお付き合いですね…。「好き」というのは、どういったところが好きなんでしょうか?
ちょっとずつかたちが出来上がっていくところに、やり甲斐を感じますね。服作りの工程は”la catena di piccole cose”「些細な事の連鎖」だって言われていました。それぞれの単純な作業をしっかりきっちりつなげていくと最後にその成果がちゃんと出ます。それが自分のイメージ通りに出来上がれば、それも嬉しいですし。また手作業が多いということは、自分の癖、性格がまるで写し鏡みたいに出てきます。いい部分も嫌な部分も全部。僕の分身を作ってるみたいなもんです。だからこそ一人の人間が手で縫う理由があるし一瞬も気が抜けません。僕の仕事はこの繰り返しなので、「おもしろい」と感じなくなったらたぶん続かないと思います。
— 今後のビジョンを教えていただけますか?
ひとりの技術者として、もっと技術や感性を磨かないといけないと思っています。そしてゆくゆくは、人も育てていけたらいいなと。
— 教育にもご興味があるんですか?
あまり人に教えるという意識はないんですけど、テーラーをやりたい人がいるなら、その人が学べる環境をつくりたいなと思います。15年前の自分みたいに実際の仕事を通して針を動かして、山ほど失敗させてあげられる環境が理想です。
— かつて河合さんが育ててもらったように、次は自分が伝える側になるということですね。
完全な斜陽産業なので、市場もどんどん縮小していって、後継者も少なくなると思います。それでも自分が教えてもらった以上、次は自分が文化を伝えていかないといけない。受け継いだものを、途絶えさせないように。僕には、その義務があると思っています。

考え過ぎることをやめる。まずはやってみる、動いてみる。

— 最後に阪大の卒業生として、学生へのアドバイスをお願いします。
やりたいことがあるなら、サポートしてくれる人がいる間にトライして、失敗した方がいいと思います。コケられるうちに、コケておいた方がいいと思うんで。
— 先ほども失敗から学ぶとおっしゃっていましたね。
失敗からしか学べないと思うんですよね。僕も最初にサルトリアに入ったときは、もう25歳で手遅れって言われて、その遅れを取り返すためにいっぱい考えたんです。どうすれば克服できるかを理論的に考えて、ノートに書くというのを毎日やっていた。でも、うまくいかないんですね。なんでうまくいかないかっていうと、手が動かないんですよ。目もついて行かないんですよ。経験がないから、合ってるか間違ってるかの判断もできないんです。
— 自分の中に、判断基準となる物差しがない。
そう。自分は間違ったことをしてないはずなのに、うまくいかないことが理解できなくなってきて、思考ばかりが先行して…。だからもう、途中で考えすぎるのをやめたんです。 自分で考えて理論武装して「良いモノ」がつくれるならわざわざミラノまできていろいろリスクを負いながら針を持たなくてもいいですよね。それなら日本にいて自分で考えて自分で縫って自分で問題解決して、独りでやっているのと変わりないですから。
だから考えればできるはずという驕った考え方をやめました。もっともっと謙虚にならないと、って。予習ももちろん毎日しました。復習なんて当たり前です。休憩時間ごとにいっぱいノートも付け続けました。でも針を持ってる時間はただただ謙虚に素直に生地に向き合うことに集中しました。それこそがその時そこでしかできない経験だと考えたので。 よく言われました。”Non è che comandi tu, è lei che comanda”「決めるのはお前じゃない、彼女(ジャケット)だ」って。つまり、どの加減で縫うかはテーラーが決められることじゃなく、手の中にある生地が望んだところにテーラーが針を通すだけのことだと。こんなこと頭の中のシミュレーションだけでわかるわけないですよね。この経験から「知ってる」と「できる」の間にはとてつもなく大きな差があるんだと気づくことができたし、なにより腐らず謙虚に素直に事に向き合って初めてわかることがあるってことが身に沁みました。
— 考えすぎて悩む前に、手と足を動かす。
その方がいいと思いますね。大学は4年間しかないので。向いてないなと思ったら、新しい道を考えたらいいと思うんです。そのためにも御託を並べる前にまずは全力でやってみる。そうしないと好きも嫌いも向いてるも向いてないもわからないから。たとえ方向転換しても一生懸命取り組んだ経験に無駄なものなんかないですよ。もし失敗したとしても、ここで人生が終わるわけじゃないから。
— ありがとうございました!
河合さんの働くミラノの風景
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